日本キリスト改革派教会(The Reformed Church in Japan)
私たち湘南恩寵教会は、「日本キリスト改革派教会」という教派に属しています。そして「改革派教会」は、歴史的正統的プロテスタント教会の一枝であり、聖書を大切に丁寧に読み解いていく、穏健で理性的な教会です。
私は教会に来る前、改革派と聞いて、何か革命でも起こそうとしている過激な人たちでは?とも思いました。 いわゆる異端ではないのか?、熱狂的妄信的なグループではないか?と心配しました。
しかし、改革派の「改革」とは、聖書の御言葉によって、自らの人生を、また教会のあり方を、絶えずよく改革されることを望むということです。
ルーツは、16世紀ヨーロッパの「宗教改革」にあります。
腐敗しきっていた中世の教会に対して、再び聖書の教えに立ち返らせ、教会を本来の姿に戻そうとする「改革」運動がおこりました。その中心人物の一人であるジャン・カルヴァンが、スイスのジュネーブで進めた改革によって生まれた教会が、私たち「改革派教会」のルーツです。
「日本キリスト改革派教会」は、このカルヴァン以来の伝統を受け継いで、1946年に創立されました。現在は、北海道から沖縄まで全国に140以上の教会と、会員1万名を擁しています。世界的にも、改革派(長老派と称する時もあります)系統の教会は、プロテスタント教会の主流を形成していて、オランダや米国を中心に750以上の教派におよび、互いに助け合いながら、正しいキリスト教の福音をのべ伝えています。プロテスタントの宣教師で、日本に一番最初に来てくださった方々も、改革派系統だったのです。
よろしければ、「日本キリスト改革派教会」のホームページをご覧ください。
(文責:坂井孝宏牧師)
「改革派教会とは」
以下に紹介しますのは、1977年に日本キリスト改革派勝田台教会が教会設立を果たす際に、教育のために記された「改革派教会とは」との文書です。11回に及ぶ連載で、当時の安田吉三郎牧師によるものです。
改革派教会とは(1)
勝田台福音キリスト教会は、米国の「キリスト改革派教会」Christian Reformed Church(C.R.C.)が派遣している宣教師の団体である「キリスト改革派日本伝道会」に所属し、その監督を受けています。責任者は、ウイリアムJ.スタブ宣教師です。安田吉三郎牧師は、宣教師の協力者であり、日本キリスト改革派教会に所属しています。この二つの教派は、それぞれ独立したものですが、協力に関する原則を、それぞれ批准して、それによって密接な協力関係を保っています。この教派は、いずれも、キリスト改革派教会という名称をもっています。改革派教会という名称は、十六世紀ヨーロッパで起こった宗教改革の原理を受け入れている教会という意味ですが、より厳密には、ルーテル教会と区別して、スイスの改革者ジャン・カルヴァンの流れに属する諸教会を意味します。この名称は、十六世紀末には、ヨーロッパにおいて広く用いられるようになりました。「改革」というのは、革命ではなく、聖書を基準として、それによって、教会をよりよくしてゆくという意味です。
改革派教会とは(2)
「改革派」という言葉は、何か革命のようなものを連想するので、マイナスの印象を与えるという声をよく聞きます。歴史の浅い日本において、教会の名前が、理解されなかったり、誤解を受けることが多いのは仕方がありません。むしろ、そのたびに、改革派教会という意味をよく説明し、理解を得ていただくように努力しなければなりません。個人の名前でも、ずい分むずかしいものがありますが、名にはそれぞれ命名の由来がありますから、質問を受ければ、できるだけ説明しようとするでしょう。教会の名前は、個人の名前以上に、歴史と内容があるのですから、名前はおろそかにできません。
さて、改革派教会は、地域的には、北欧を中心として、ドイツ、スカンジナビヤ半島の諸国(これらは、ルター派教会を国教としました)以外の国々に栄えました。英国系の諸地方では、英国国教会(聖公会)と並んで
長老派教会の名で知られています。長老派という名前は、教会政治の形態の面からの特色を示しています。長老制というのは、一つの群れの中から選挙によって選ばれ、キリストの賜物をいただいた長老が、会議を開き、その合議によって、教会的な事柄を決定し、かつ運営してゆくやり方です。長老派教会は、単立制を取らず、数個の教会が集まって、共通の信仰告白を持ち、規則を定め、それに基づく運営をします。従って、個々の教会を治めるための会議のほかに、各個教会の代表が集まって開く会議があります。そこでは、いくつかの教会に共通の問題が議せられ、決定せられます。
改革派教会は、教理的な面からいえば、カルヴァンの神学思想に立ち、教会政治の面からは、長老制をとる教会といえます。しかし、カルヴァンの神学思想といっても、決して、特定の個人を教祖視したり、絶対視したりするのではありません。カルヴァンの神学思想の特色は、一つは、聖書に堅く立つということであり、もう一つは、神の主権的な恩恵を強調することです。この二つを貫くものは、神にのみ栄光を帰しまつる敬虔の精神です。そして、これこそ、キリスト教の真髄であるといえます。
長老主義という政治形態も、その名前が与える、古いというイメージに支配されてはなりません。これは、聖書が示している教会の政治形態です。それは、キリストの賜物によって、教会が支配されるということであって、決して、年齢と経験による支配ではありません。
改革派ないし長老派教会の歴史を学べば、この教会が、聖書によって、自己を改革し、時代に対して、新しい感覚を持って対応してきた教会であることがわかります。
改革派教会とは(3)
ヨーロッパの改革派諸教会は、アメリカへの移民によって、新大陸にもたらされました。英国系のものは、アメリカ長老教会と呼ばれましたが、南北戦争を契機として、南北に分かれました。オランダ系のものは、C.R.C.をつくりました。ドイツ系のものは、ドイツ改革派教会を形成しました。日本に初めて渡来したプロテスタントの宣教師(1859年・安政六年)のうち、フルベッキ、S.R.ブラウン、シモンズはオランダ改革派教会、ヘボンは長老教会、他の二人ウィリアムスとリギンスは聖公会(英国の国教会ですが、伝道によって全世界に教会があります)でした。
1872年(明治五年)3月に、日本最初のプロテスタント教会として、横浜公会が立てられましたが、これの指導にあたったのはオランダ改革派教会の宣教師バラです。その会員の多くは、S.R.ブラウンの英語塾に学ぶ青年でした。このように見てきますと、日本におけるプロテスタント教会の伝統で一番古いものは改革派教会系であったといえます。ちなみに、英国の聖公会も、その信条はカルヴァン系の信仰内容によるものです。このことは、特に不思議なことではありません。改革派信仰は、聖書にもとづき、聖書に忠実であろうとする信仰ですから、このような教会を神は用いてくださるのです。日本において、この改革派・長老派の伝統は、日本キリスト一致教会にうけつがれました。この教会は、先に述べた公会と長老教会とが合同してできたもので、明治十年から二十三年まで続きます。一致教会は、発展して、日本キリスト教会となりました。日本キリスト教会は、戦前まで、日本最大の教派として、伝道・神学・教会形成において、指導的な役割をはたし、各分野において、すぐれた指導者を出しました。植村正久は、その中の最大の人物です。
しかし、日本キリスト教会は、広い意味で改革派・長老派の伝統に立っていましたが、その理解には大きな幅がありました。日本キリスト教会の前身である日本キリスト一致教会は、公会と長老派の合同の産物ですが、長老教会が長老主義の確立を主張するのにたいし、公会の方は、超教派的合同主義をプリンシプルとしていました。日本キリスト一致教会は、信仰規準として、ウエストミンスター信条(現在日本キリスト改革派教会の信条として採用されている)、ドルト信条、ハイデルベルク信仰問答(C.R.Cの信条)を採用していましたが、明治二十三年に、日本キリスト教会となるときに、これを廃し、その代わりに、前文を付した使徒信条を採用しました。その立場は、改革派の伝統に立つ福音主義というべきものでした。
改革派教会とは (4)
1937年(昭和12年)日支事変が始まり、日本の政治はますます軍国的傾向を強め、国家権力による統制は、言論、思想にまで露骨に及びました。宗教も例外ではありませんでした。それとともに、日本のキリスト教会は、それぞれ、その信仰の立場を明確にすることを迫られました。教会は試練を受けることによって、信仰の真偽をためされます。あるものは、時代の風潮に迎合して、いちはやく、日本的キリスト教といった混合宗教を提唱しました。大多数のクリスチャンは敬虔を保とうとしました。しかし、敬虔からくる穏健さのためでしょうか、結果的には、生活の上でも、教理の上でも、妥協的になり、教会が背教的になってゆくのを止めることができませんでした。
日本キリスト改革派教会を作ろうと言う動きが、実際に始まったのは、戦争末期から戦後にかけてのことです。しかし、とめどもなく妥協してゆく教会を何とかしなければならないという危機感をもった牧師・信徒の群は、どの教派にもあったと思います。日本キリスト教会の中では、十数名の比較的若い牧師たちの運動がありました。それは、正統的な改革派神学を学び、これを明らかにし、日本の教会の中にこれを定着させようとする運動でした。それとともに、この人々は、教会が国家権力から完全に独立した存在であり、イエス・キリストの主権に服する自律的な団体であることと、日本国民であるが故に、国家神道を受け入れる義務はないこと、神としての天皇や、神社を拝することは、偶像崇拝の罪であることを明らかにしたいと願いました。今日からみれば、極く当たり前のことなのですが、戦争中にその立場を貫き通すことは容易ではありませんでした。
日本キリスト改革派教会は、1946年(昭和21年)四月に創立されました。それは敗戦によって得られた宗教の自由によって実現したものであって、激しい抵抗の後に自らの手で勝ちとったものとは言えません。戦後の教派であっても、戦争中の妥協と背教の罪と無関係ではありえません。だれも、自分だけは潔白であるとは言えない状況にあったからです。それだけに、戦後の自由な時代に形成された教派、教会は、二度同じ誤りを繰り返さないという責任を神の前に負っていると言わなければなりません。
時代はどんどん変わってゆきます。その中にあって、変わることのない、しっかりとした教会を立てたいというのが私たちの心からの願いではないでしょうか。改革派教会とその信仰の在り方は、歴史の風雪に耐えてきたものであり、その価値は認められたものです。このような使命感がなければ、改革派教会を日本に建てることは容易ではありません。
改革派教会とは (5)
日本キリスト改革派教会が1946年(昭和21年)4月に創立されたとき、内外に向かってその主張を明らかにするために「宣言」を出しました。今日これは「創立宣言」と呼ばれています。改革派教会とはどんな教会かを知る道として、この宣言文は一番手軽であり、内容的にもすぐれていると思います。ですから、この解説でも宣言に即して、これを私自身の言葉に直しながら解説してゆくことにします。
創立宣言が書かれた時期は、太平洋戦争の敗戦のショックから立ち上がるための方策が色々と論じられる頃でした。新しい日本の理想として民主主義と平和主義が高くかかげられました。しかし「宣言」は冒頭において「終戦後すでに九ヶ月、敗戦祖国の再建は種々なる構想と方途によりて計られつつありといえども、聖書に『神家をたて給うにあらすば、建つる者の勤労は空しく、神城守り給うにあらずば、衛士のさめ居るはいたずらなり』とあるは真なり。宇宙と人類を主宰し給う全知全能至聖至愛の神を信ずるにあらざれば、一国といえどもよく保たるる道理なし」と、大胆に言い切りました。
ここには、一教派の発足という狭く小さな視野ではなく、いかにすれば日本が再建できるかという広い大きな見通しがあります。しかし日本のことが、単にナショナリズムの立場から取り上げられているだけでなく、教会と国家を含めて、全世界、全人類を統治しておられる聖書の神に対する信仰が、すべての出発点になっています。これはむつかしい言葉でいえば、有神的世界観ということです。現代の人々の物の考え方の大きな特色は、宗教の領域と、生活のその他の領域は全く別であるという見方です。たとえば、科学は信仰と全く無関係な中立性をもっていると人々は考えます。しかし、これは聖書的なものの見方ではありません。聖書によれば、食べるにも飲むにも、何事をなすにもただ神の栄光のためにすべきです。神に仕える場所は教会の礼拝だけに限定されてはなりません。全生活を神にささげようというモットーを出発点とし、またこれを目標とするところに改革派信仰の特色があります。
神の支配を一つの領域に限定すれば、それだけ神の栄光を汚していることになります。全世界は神の所有物です。また人間の心も神のものです。理性も意志も感情も神に服し、神をほめたたえなければなりません。この基本的な原理を、世界と人生のすべてにあてはめてゆくということは、どんなラディカルな革命も及ばぬ一大変革を人間に要求します。敗戦焦土の精神的社会的混乱の中で、ひとにぎりのクリスチャンが、神を仰ぎ、神の全き主権に服する道で、祖国の再建にあたりたいという熱心を表明したのです。この聖なる熱心を私たちは受けつぎたいのです。
改革派教会とは (6)
有神的人生観世界観についてもう少し説明します。人間がなにか行なおうとするとき、かならず法則にしたがって行動します。自然科学の諸領域はもちろんのこと、社会科学の領域でもそうです。それだけでなく、芸術、道徳、宗教の諸領域にも法則があります。問題となるには、この法則をどのようなものとみなすかという点にあります。もし、法則を立てるのは人間の自律的理性であり、この理性は神から独立しているという立場をとればどうなるでしょう。現代人は、自分の生活の大部分を自律的理性の支配下に置き、神のためにはごくわずかの部分しか残しておかないでしょう。いうまでもなく、このような制限された神は、聖書の神ではありません。
この世界のあらゆる部分にゆきわたっている法則は、神の知恵によるものであり、神の知恵の前にかくれたところは何ひとつありません。人間理性のなすべきことは、この世界にゆきわったっている神の知恵を見出し、これを正しく用いることです。神は、人間世界の諸領域を定めておられます。政治、経済、教育、芸術、純粋科学等の諸領域があります。これらの諸領域には、それぞれにかなった法則が神によって与えられているはずです。神の知恵は、各領域において法が正しく用いられ、それによって、神がおつくりになった世界が、豊かな果実を神にささげられることを求めています。人間の理性の働きが、神の知恵をおそれ、これに従うとき、はじめて正常に機能しているといえます。人間生活のあらゆる領域において神の主権を認め、神の法の支配に従うとき、人ははじめて人格的に統合された生活をいとなむことができます。教会での生活(信仰)と世俗での生活が別々の原理によって導かれている人は、二元的に分裂していますから、悲惨です。有神的人生観世界観は、人間を全人として救うという思想にほかなりません。神は、人間を全体として救い、その主権者となってくださるのです。
ひとりの人間がこの社会の中で生活するとき、その人が関係する領域は何重にもかさなっています。私たちは、一国民であるとともに、一つの地域の住民であり、またどこかの会社の社員であり、ある学校の学生でもあります。また、家庭という秩序の中に所属しています。そしてさらに、制度としての教会の会員でもあります。もしこれらの諸領域が、てんでばらばらの存在であれば、これらのものと幾重にも関係する人間の人格は分裂してしまいます。各領域の主権が保たれつつ、しかも互いに調和のとれた関係が確立されることは、人間の全人としての救いに深くかかわることではないでしょうか。
改革派教会とは (7)
創立宣言の主張の第二点は、改革派教会の信仰の特色を「恵みの契約」として捉えていることです。恵みの契約という視点から、旧新約聖書を統一的、体系的に理解するという立場は、聖書理解を非常に実り多いものにします。
聖書の神は、生けるまことの神として、永遠のご計画にしたがって、人間の歴史を支配しておられます。神は創造のみわざの冠として人をつくられました。神はアダムと契約を結ばれました。すなわち、人はエデンの園を治め、その仕事を通して、自ら主人としてふるまいますが、同時に、創造主であられる神に栄光を帰さなければなりません。具体的には、神が禁じられた果実を食べてはならない。それを食べれば、人は神に対する無条件の服従の道を失うのであるから、生ける神との交わりを絶たれて死ななければならないということでした。人が神のしもべとして、その道をあくまで忠実に守り通すならば、永遠の祝福されたいのちを与えるという約束を、この契約は含んでいます。契約は、神への服従を経て、神の忠実なしもべであることをあらわす道です。それは、永遠のいのちの祝福と、死の呪いの二つの道を人の前に示します。
アダムは、最初の契約を守り通すことをしませんでした。彼は契約違反者となりました。そして、全人類は、このアダムの違反において、同じ契約破棄者となりました。それとともに、死が同じ人類を支配するに至りました。しかし、人類の歴史は、アダム一代で終わったわけではありません。アダム以後の歴史は、一面からいえば罪と悲惨の歴史です。しかし、恵みの神は、堕落した人類を、もう一度回復して、最初の創造の目的、契約の意図を実現に至らせようとされるのです。そのために、人間の側から一度破った契約を恵みによって更新されるのです。罪人を救うための、この新しい契約を恵みの契約と呼びます。
恵みの契約はアダムの堕落直後から始まりました。アダムを誘惑させ罪を犯させた蛇にたいして、神が「女のすえがおまえの頭をくだく」といわれたとき、恵みの約束の最初の声を聞くことができます。
神はノアのときにも契約をたてられました(創世記9章)。この契約は、自然界およびその秩序を目的としたものですが、これも恵みの契約の一つであることにかわりありません。なぜなら、人間の救いが完成されるまで、自然は保護され、歴史は続くのです。人間による自然の破壊がどんなにすさまじくとも、神の救いが完成するまで地球はほろびることはないのです。
虹がその契約のしるしです。恵みの契約は、人類と世界を含む大きな人類と世界に関わります。
改革派教会とは (8)
ノアの時代まで、神は人類を全体として取り扱われましたが、アブラハムの選び以後、事情がかわります(創世記12章)。神はアブラハムとその子孫であるイスラエルと特に契約をお立てになりました。救いに関する
神の啓示とお働きは、イスラエル民族の中に限定されます。しかし、アブラハム契約は、約束型の契約であり、その契約の項目の中には、全人類にたいする神の祝福が含まれていました。ですから、民族の救いという枠の中にありながら、旧約聖書には、いたるところに、全人類を救いの目標とする世界性が輝いています。
出エジプトの後、一つの国民として形成されたイスラエルにたいし、神はモーセを通して、シナイ契約をお立てになりました。シナイ契約は律法型の契約であり、神のしもべとしての生活はいかにあるべきかという面がきわだっています。ここには組織としての教会の旧約版をみることができます。
王国時代になると、神はダビデを立てて、ダビデ契約を結ばれました。この契約は再び約束型のものです。ダビデのすえにたいする永遠の王位の約束は、神殿の建設と、そこにおける神の臨在の約束と切り離せません。
これらの契約は、いずれも恵みの契約のそれぞれの側面を表しています。神は歴史を通して、契約の恵みを与え続けられたのです。
改革派教会とは (9)
有神的世界観と、人類の歴史を一貫する神の恵みの契約に触れたあと、創立宣言の主張は、教会の問題に移ります。
改革派教会は、教会の公同性を信じます。地上にある教会は、数多くの教派に分かれていますが、見えない、真の教会の一致は損なわれるものではありません。見えない教会とは、キリストを長子とする、霊的な家族であり、これが完全に見える形で実現するのは終末の時である。しかし、地上の教会も、それがキリストの教会であるかぎり、見えない教会の具現でなければならない。改革派教会は、一つの教派でありつつ、常に教会の公同性を目に見える形に表すことを目標にしています。
信仰告白 ― 見える教会の会員は、イエスを神の子、救主と信じ告白する者と、その子供たちからなっています。いいかえれば、教会の基礎は信仰告白であるということになります。この信仰告白は、できるだけ明瞭な形で文章化されなければなりません。人間は千差万別ですから、知的な人、情の人、意志の人とタイプがことなりますし、受ける教育もまちまちです。しかし、明瞭に表明された告白文があれば、これに同意するかどうかという形で、教会の一致が保てます。なんとなく、集まって仲良くしているというだけでは、何か問題が生じたときに結束を保つことができません。よい憲法をもつことが国家にとって大切である以上に、よい信仰告白を持つことは教会にとって大切です。教理を大切にしない教会は長続きしません。教理を学ぶことは知的な作業ですが、これはあくまでも、信仰の敬虔に裏打ちされたものでなければなりません。あらゆる知識が聖なるものでなければなりませんが、神とその救いに関する知識は、信仰と敬虔さをもって身につけなければなりません。すべてのキリスト信者が、高度の神学的知識をもつことは、要求されていませんが、自分が何を信じているかということが、ある程度まとまりをもって言い表せなければなりません。確かな知識がありませんと、教会は内外からの敵と誘惑に対抗することができません。
改革派教会の信仰告白文は、ウエストミンスター信仰告白ならびに大小教理問答という三つの文書から成っています。これは、諸信条のなかでもっともすぐれたものとして定評があります。これをよく消化することによって、強力な教会を形成したいものです。
改革派教会とは (10)
教会政治について、宣言は、「長老主義が聖書的教会に固有なる政体」であると述べています。
長老主義の原則を要約しますと―
1.教会の唯一の統治者はイエス・キリストである。キリストは、聖霊とみ言葉によって、ご自身の教会を統治される。
2.キリストは教会の中に賜物を与え、その中に牧師、長老、執事の職に召されるものを与えられる。これらの人々を通して、キリストの統治は間接的におこなわれる。
3.長老による政治は合議制である。会議において、牧師と長老は平等の立場に置かれる。
4.会議は、個々の教会の問題を処理する小会と、幾つかの教会の問題を扱う中会と、全国的組織としての大会に分かれる。
キリスト教会が、その政治形態において共通しているとはいえません。長老制のほかに、監督制があります。ローマ・カトリック、ギリシャ正教、聖公会、メソジスト、ホーリネスなどは、この制度です。第二は、会衆制といい、バプテスト、組合などがこの制度を採用しています。
長老主義政治の原則は、聖書の教えるところですが、それの実際的運用においては、国により、教会により、違いがあります。日本の教会は個々の教会の規模が比較的小さいですから、小会よりは、中会にかかるウエートが大きくなる傾向があります。しかし、牧師、長老に召される者の質がよくなければ、長老主義はうまく機能しません。教会の仕事の中には、会計のこととか、書記の仕事のように、およそ団体のあるところには、必ずなくてはならぬ仕事があります。また建物の維持なども大切なことです。しかし、これらのことは、教会の仕事の中で一番本質的であるとはいえません。教会の仕事として、最も大切なことは、クリスチャンにすることと、クリスチャンとして成長することです。かしらなるキリストに達することであるといってもよいでしょう。牧師や長老は、このような、本来霊的な職務を遂行するように召されるのです。したがって、いかなる人々をクリスチャンと認めるかという判断を下すこと、また、会員の霊的な状態がどうなっているかということについて、正しい判断が下されなければなりません。また、必要な処置がなされなければなりません。
制度がよいから教会がよくなるとは限りません。もちろん、聖書に命じられていることを無視して、人間の都合で制度を作っても、祝福は得られません。聖書的な制度を生かしてゆくために、その教会の会員全体が、正しい信仰によって、その制度を支えなければなりません。よい牧師、よい長老、よい執事を選出することが、なによりも大切です。それは、会員の一番基本的な権利です。
改革派教会とは(11)
[善き生活]
(1) 改革派教会の生活は、律法主義ではない。
律法主義というのは、律法を守ることによって義とされる思想です。自らの力で神からの報酬に値するような善と義が得られるという考えは聖書の救いの教理とは合いません。
(2)改革派教会の信仰生活は、無律法主義でもない。無律法主義というのは、キリストを信じる信仰によってのみ義とされるという思想を悪用したものです。キリストがすべてを成しとげられたものであり、信者はそれを認めるだけで十分であって、自分の中にキリストのかたちが成ることを求める必要はないという考えです。信者と律法は無関係であるという思想は、律法主義と同じように、聖書の宗教とは相い容れません。
(3)改革派信仰は、信仰生活の規準として、神の律法を重んじます。人が救われるのは、律法の義によるのではなく、キリストを信じる信仰の義にのみによりますが、信じて救われた者は、神のみ心に従って正しい生活をしなければなりません。その生活の規準は、神の律法にほかなりません。ただし、この律法への服従は、奴隷的な性質のものではなく、恩恵による救いにたいする感謝の表明にほかなりません。感謝の生活のない信仰生活は、いつわりものです。
(4)善き生活は、聖化の教理と関係します。信者の生活は、罪に死んで義に生きることにあります。イエス・キリストに似るものになるべく、全人を新たにする生活です。このような生活は、キリストの霊である聖霊を注がれることなしには実現しませんから、聖化はやはり神のめぐみのわざです。律法はいうまでもなく、キリストのかたちの形成において、具体的な指針となります。律法にたいする意識的な違反だけでなく、無知または無意識な違反についても、信者は罪意識を鋭くすることによって、ゆるしを願わなければなりません。律法を学べば学ぶほど、信者は罪の力の大きさを知りますが、罪にたいしては、キリストとともに死ぬ以外にありません。それによってのみ、罪のゆるしの確信は得られます。聖化は地上においては未完成であり、漸進的にしか進まないとしても、私たちは、日ごとに、この恵みを祈り求め、律法を熱心に学ぶことをおこたってはなりません。
(5)改革派教会は、罪の匡正のために、互いに戒め合うことを教えます。それは、信者相互の兄弟愛による戒めですから、あらさがしとは異なります。忠実な教会生活、交わりの生活は、善き生活の実践のために大切なポイントになります。
牧師の任務
日本キリスト改革派教会の憲法によれば、牧師の任務は八項目あります。
1.ゆだねられた群れのために祈ること、
2.み言葉の朗読、解説、説教によって群れを養うこと、
3.賛美を指導すること、
4.礼典を執行すること、
5.教会員および求道者を教育すること、
6.伝道活動を指導すること、
7.教会員、特に、貧しい者、病める者、悩めるもの、臨終の床にあるものを訪問すること、
8.治会長老とともに、議会権能を行使すること。
キリストの羊の群れを霊的に養うゆえに「牧師」と呼ばれますが、聖書では、この職務は、「監督」「しもべ」「長老」「使者」「伝道者」「説教者」「教師」「神の奥義の管理者」と呼ばれています。
この教会は、五月八日の会員総会において牧師選挙を行ないました。この選挙が実質的に有効になるのは、教会が経済的に自給し、長老が選ばれて、牧師とともに教会を治める小会が組織され、自治の能力を持つようになった時です。その時を目指して、私たちの教会は、今日から新しい歩みを始めます。この地にしっかり根をおろしたキリストの教会を建設するために、全員が力を合わせなければなりません。一つの目的が定められ、その方向に進もうとするとき、会員の中には、そのことについてまだ十分に理解がゆきとどかないための不安を感じられる方もあると思います。しかし、これは、教会を建てるための労苦ですから、皆がともに重荷をになうべきであると思います。困難を乗り越えるときに、本当のよろこびがあります。苦難を経て栄光に至る道は、主イエス・キリストの道でした。私たちも、ささやかながら、自分たちの教会を立てる努力を通して、主が味わわれた感情に共感できたらと願います。
牧師のつとめは重大です。しかし、牧師は、自分の牧する教会を離れてひとり歩きすることはできません。相互の信頼と愛を築いてゆかねばなりません。私自身は、能力の小さなものです。ですから、どれだけのことができるという自信はありません。けれども、み言葉の教えが、ひとりびとりによくゆきわたるように努めたいと思います。どんなことでも教えてください。相談してください。打明けてください。牧師はもちろん、個人の秘密は固く守ります。電話による連絡、相互の訪問、いずれでも結構です。すべての悩みが、主のもとに携えられてゆかれるように、牧師の祈りを助けてください。