日本キリスト改革派教会(The Reformed Church in Japan)
私たち湘南恩寵教会は、「日本キリスト改革派教会」という教派に属しています。そして「改革派教会」は、歴史的正統的プロテスタント教会の一枝であり、聖書を大切に丁寧に読み解いていく、穏健で理性的な教会です。
私は教会に来る前、改革派と聞いて、何か革命でも起こそうとしている過激な人たちでは?とも思いました。 いわゆる異端ではないのか?、熱狂的妄信的なグループではないか?と心配しました。
しかし、改革派の「改革」とは、聖書の御言葉によって、自らの人生を、また教会のあり方を、絶えずよく改革されることを望むということです。
ルーツは、16世紀ヨーロッパの「宗教改革」にあります。
腐敗しきっていた中世の教会に対して、再び聖書の教えに立ち返らせ、教会を本来の姿に戻そうとする「改革」運動がおこりました。その中心人物の一人であるジャン・カルヴァンが、スイスのジュネーブで進めた改革によって生まれた教会が、私たち「改革派教会」のルーツです。
「日本キリスト改革派教会」は、このカルヴァン以来の伝統を受け継いで、1946年に創立されました。現在は、北海道から沖縄まで全国に140以上の教会と、会員1万名を擁しています。世界的にも、改革派(長老派と称する時もあります)系統の教会は、プロテスタント教会の主流を形成していて、オランダや米国を中心に750以上の教派におよび、互いに助け合いながら、正しいキリスト教の福音をのべ伝えています。プロテスタントの宣教師で、日本に一番最初に来てくださった方々も、改革派系統だったのです。
よろしければ、「日本キリスト改革派教会」のホームページをご覧ください。
(文責:坂井孝宏牧師)
「改革派教会とは」
(1)改革派教会とは
湘南恩寵教会は「日本キリスト改革派教会」の「東部中会」に属しています。
「改革派教会」と呼ばれる教会は世界中にありますが、宗教改革にさかのぼる正統的プロテスタント教会であり、聖書の教えるキリスト教信仰を忠実にうけつぎ、宗教改革の精神と、歴史的なキリスト教会の伝統を大切にすること、また長老主義(中会主義)という政治形態を特色とします。
改革派教会という名称は、十六世紀ヨーロッパで起こった宗教改革の原理を受け入れている教会という意味ですが、より厳密には、ルーテル教会と区別して、スイスの改革者ジャン・カルヴァンの流れに属する諸教会を意味します。この名称は、十六世紀末には、ヨーロッパにおいて広く用いられるようになりました。「改革」というのは、革命ではなく、聖書を基準として、それによって、教会をよりよくしてゆくという意味です。
「日本キリスト改革派教会」は、日本基督教団から分離し、1946年に設立されました。戦時中に、国家の圧力に屈して天皇崇拝を受け入れてしまった教団の過ちを、二度と繰り返してはならないとの決意をもって生まれた教派です。
(2)改革派教会という名称の意味
「改革派」という言葉は、何か革命のようなものを連想するので、マイナスの印象を与えるという声をよく聞きます。歴史の浅い日本において、教会の名前が、理解されなかったり、誤解を受けることが多いのは仕方がありません。むしろ、そのたびに、改革派教会という意味をよく説明し、理解を得ていただくように努力しなければなりません。個人の名前でも、ずい分むずかしいものがありますが、名にはそれぞれ命名の由来がありますから、質問を受ければ、できるだけ説明しようとするでしょう。教会の名前は、個人の名前以上に、歴史と内容があるのですから、名前はおろそかにできません。
さて、改革派教会は、地域的には、北欧を中心として、ドイツ、スカンジナビヤ半島の諸国(これらは、ルター派教会を国教としました)以外の国々に栄えました。英国系の諸地方では、英国国教会(聖公会)と並んで長老派教会の名で知られています。
長老派という名前は、教会政治の形態の面からの特色を示しています。長老制というのは、一つの群れの中から選挙によって選ばれ、キリストの賜物をいただいた長老が、会議を開き、その合議によって、教会的な事柄を決定し、かつ運営してゆくやり方です。長老派教会は、単立制を取らず、数個の教会が集まって、共通の信仰告白を持ち、規則を定め、それに基づく運営をします。従って、個々の教会を治めるための会議のほかに、各個教会の代表が集まって開く会議があります。そこでは、いくつかの教会に共通の問題が議せられ、決定せられます。
改革派教会は、教理的な面からいえば、カルヴァンの神学思想に立ち、教会政治の面からは、長老制をとる教会といえます。しかし、カルヴァンの神学思想といっても、決して、特定の個人を教祖視したり、絶対視したりするのではありません。カルヴァンの神学思想の特色は、一つは、聖書に堅く立つということであり、もう一つは、神の主権的な恩恵を強調することです。この二つを貫くものは、神にのみ栄光を帰しまつる敬虔の精神です。そして、これこそ、キリスト教の真髄であるといえます。
長老主義という政治形態も、その名前が与える、古いというイメージに支配されてはなりません。これは、聖書が示している教会の政治形態です。それは、キリストの賜物によって、教会が支配されるということであって、決して、年齢と経験による支配ではありません。
改革派ないし長老派教会の歴史を学べば、この教会が、聖書によって、自己を改革し、時代に対して、新しい感覚を持って対応してきた教会であることがわかります。
(3)日本のプロテスタント教会のルーツ
ヨーロッパの改革派諸教会は、アメリカへの移民によって、新大陸にもたらされました。英国系のものは、アメリカ長老教会と呼ばれました。オランダ系やドイツ系のものは、それぞれ改革派教会を形成しました。
日本に初めて渡来したプロテスタントの宣教師(1859年・安政六年)の6人中4人は改革長老系の教会に属していました。フルベッキ、S.R.ブラウン、シモンズがオランダ改革派教会、ヘボンが長老教会、他の二人ウィリアムスとリギンスは聖公会(英国の国教会)でした。
1872年(明治五年)3月に、日本最初のプロテスタント教会として、横浜公会が立てられましたが、これの指導にあたったのはオランダ改革派教会の宣教師バラです。その会員の多くは、S.R.ブラウンの英語塾に学ぶ青年でした。このように見てきますと、日本におけるプロテスタント教会の伝統で一番古いものは改革派教会系であったといえます。
ちなみに、英国の聖公会も、その信条はカルヴァン系の信仰内容によるものです。このことは、特に不思議なことではありません。改革派信仰は、聖書にもとづき、聖書に忠実であろうとする信仰ですから、このような教会を神は用いてくださるのです。
(4)日本キリスト改革派教会「創立宣言」
日本キリスト改革派教会が1946年(昭和21年)4月に創立されたとき、内外に向かってその主張を明らかにするために「宣言」を出しました。今日これは「創立宣言」と呼ばれています。
「創立宣言」によれば、そのヴィジョンは以下の三点です。
①信条(歴史的正統教理)を大事にする教会です。
自分勝手に聖書を読まないで、世界の改革派の伝統に固く立つすぐれた信条の助けを借りながら、聖書理解を深めます。そして、自分は何を信じているのかを、明確に把握し、確信をもって他者にも伝えることができる者となることを望みます。
②長老主義によって教会を運営する教会です。
信徒の代表としての長老たち(牧師も宣教長老)による会議「小会」によって、神の御心を求めながら、教会を治めます。また、この長老会議は、「中会」「大会」と段階的に構成されており、下級会議は上級会議の監督下におかれます。
③善き生活を大事にする教会です。
改革派教会の信仰生活は、律法主義でも無律法主義でもなく、聖霊とみことばに導かれて、キリスト者の自由と愛の実践をもって、正義をあらわし、神の栄光をあらわすことを願います。
(5)①信条(歴史的正統教理)を大事にする教会。
改革派教会は、教会の公同性を信じます。地上にある教会は、数多くの教派に分かれていますが、見えない、真の教会の一致は損なわれるものではありません。改革派教会は、地上における一つの教派でありつつ、常に教会の公同性を目に見える形に表すことを目標にしています。
地上の教会の会員は、イエスを神の子、救主と信じ告白する者と、その子供たちからなっています。いいかえれば、教会の基礎は信仰告白であるということになります。
この信仰告白は、できるだけ明瞭な形で文章化されなければなりません。人間は千差万別ですから、知的な人、情の人、意志の人とタイプがことなりますし、受ける教育もまちまちです。しかし、明瞭に表明された告白文があれば、これに同意するかどうかという形で、教会の一致が保てます。なんとなく、集まって仲良くしているというだけでは、何か問題が生じたときに結束を保つことができません。
よい憲法をもつことが国家にとって大切である以上に、よい信仰告白を持つことは教会にとって大切です。教理を大切にしない教会は長続きしません。教理を学ぶことは知的な作業ですが、これはあくまでも、信仰の敬虔に裏打ちされたものでなければなりません。あらゆる知識が聖なるものでなければなりませんが、神とその救いに関する知識は、信仰と敬虔さをもって身につけなければなりません。すべてのキリスト信者が、高度の神学的知識をもつことは、要求されていませんが、自分が何を信じているかということが、ある程度まとまりをもって言い表せなければなりません。確かな知識がありませんと、教会は内外からの敵と誘惑に対抗することができません。
改革派教会の信仰告白文は、ウエストミンスター信仰告白ならびに大小教理問答という三つの文書から成っています。これは、諸信条のなかでもっともすぐれたものとして定評があります。これをよく消化することによって、強力な教会を形成したいものです。
(6)②長老主義によって教会を運営する教会
長老主義の原則を要約しますと―
1. 教会の唯一の統治者はイエス・キリストである。キリストは、聖霊とみ言葉によって、ご自身の教会を統治される。
2. キリストは教会の中に賜物を与え、その中に牧師、長老、執事の職に召されるものを与えられる。これらの人々を通して、キリストの統治は間接的におこなわれる。
3. 長老による政治は合議制である。会議において、牧師と長老は平等の立場に置かれる。
4. 会議は、個々の教会の問題を処理する小会と、幾つかの教会の問題を扱う中会と、全国的組織としての大会に分かれる。
キリスト教会が、その政治形態において共通しているとはいえません。長老制のほかに、監督制があります。ローマ・カトリック、ギリシャ正教、聖公会、メソジスト、ホーリネスなどは、この制度です。第二は、会衆制といい、バプテスト、組合などがこの制度を採用しています。
長老主義政治の原則は、聖書の教えるところですが、それの実際的運用においては、国により、教会により、違いがあります。日本の教会は個々の教会の規模が比較的小さいですから、小会よりは、中会にかかるウエートが大きくなる傾向があります。しかし、牧師、長老に召される者の質がよくなければ、長老主義はうまく機能しません。
教会の仕事として、最も大切なことは、クリスチャンにすることと、クリスチャンとして成長することです。かしらなるキリストに達することであるといってもよいでしょう。牧師や長老は、このような、本来霊的な職務を遂行するように召されるのです。したがって、いかなる人々をクリスチャンと認めるかという判断を下すこと、また、会員の霊的な状態がどうなっているかということについて、正しい判断が下されなければなりません。また、必要な処置がなされなければなりません。
制度がよいから教会がよくなるとは限りません。もちろん、聖書に命じられていることを無視して、人間の都合で制度を作っても、祝福は得られません。聖書的な制度を生かしてゆくために、その教会の会員全体が、正しい信仰によって、その制度を支えなければなりません。よい牧師、よい長老、よい執事を選出することが、なによりも大切です。それは、会員の一番基本的な権利です。
(7)③善き生活を大事にする教会
[善き生活]
(1)改革派教会の生活は、律法主義ではない。
律法主義というのは、律法を守ることによって義とされる思想です。自らの力で神からの報酬に値するような善と義が得られるという考えは聖書の救いの教理とは合いません。
(2)改革派教会の信仰生活は、無律法主義でもない。
無律法主義というのは、キリストを信じる信仰によってのみ義とされるという思想を悪用したものです。キリストがすべてを成しとげられたものであり、信者はそれを認めるだけで十分であって、自分の中にキリストのかたちが成ることを求める必要はないという考えです。信者と律法は無関係であるという思想は、律法主義と同じように、聖書の宗教とは相い容れません。
(3)改革派信仰は、信仰生活の規準として、神の律法を重んじます。
人が救われるのは、律法の義によるのではなく、キリストを信じる信仰の義にのみによりますが、信じて救われた者は、神のみ心に従って正しい生活をしなければなりません。その生活の規準は、神の律法にほかなりません。ただし、この律法への服従は、奴隷的な性質のものではなく、恩恵による救いにたいする感謝の表明にほかなりません。感謝の生活のない信仰生活は、いつわりものです。
(4)善き生活は、聖化の教理と関係します。
信者の生活は、罪に死んで義に生きることにあります。イエス・キリストに似るものになるべく、全人を新たにする生活です。このような生活は、キリストの霊である聖霊を注がれることなしには実現しませんから、聖化はやはり神のめぐみのわざです。律法はいうまでもなく、キリストのかたちの形成において、具体的な指針となります。律法にたいする意識的な違反だけでなく、無知または無意識な違反についても、信者は罪意識を鋭くすることによって、ゆるしを願わなければなりません。律法を学べば学ぶほど、信者は罪の力の大きさを知りますが、罪にたいしては、キリストとともに死ぬ以外にありません。それによってのみ、罪のゆるしの確信は得られます。聖化は地上においては未完成であり、漸進的にしか進まないとしても、私たちは、日ごとに、この恵みを祈り求め、律法を熱心に学ぶことをおこたってはなりません。
(5)改革派教会は、罪の匡正のために、互いに戒め合うことを教えます。それは、信者相互の兄弟愛による戒めですから、あらさがしとは異なります。忠実な教会生活、交わりの生活は、善き生活の実践のために大切なポイントになります。