坂井牧師の「牧会通信」
No71-80
毎週の週報に掲載されているミニコラムです。日々の生活や、教会の内外の皆様との交流の中で感じたことや、目指すべき教会像などなど、牧師の心にあることを皆さんにお伝えしています。
No.71 (2022年6月26日)
会堂リフォーム工事を覚えて④
6月のコラムは、今年後半のビッグイベントとしての会堂リフォーム工事についての特集をしてきました。7月10日に予定されている会員総会で諮っていただきますが、今回の工事は550万円規模の大きな支出になります。幸い、これまでに積み立てることの許された会堂会計で賄うことができます。しかし小会では、新たに特別献金を募ることを提案したいと思っています。現在の湘南恩寵教会の礼拝出席者は、私たちの家族を含め、この5年ほどの間に教会員になられた方が大半を占めています。 今は色んな事情で教会から離れてしまっていますが、30年の歩みには様々な先人たちの祈りが重ねられてきました。彼らがコツコツと積み上げてこられた会堂献金を用いて、工事がなされようとしている。この不思議な導きに感謝するとともに、新しいメンバーも特別献金によって、より自覚的な献身の意志を表していきましょう。
No.72 (2022年7月3日)
6月大会を終えて
先週、第76回年度第二回定期大会(および大会役員修養会)を無事に開催することができました。今回は、特筆すべき議案はないのですが、教派が抱えるたくさんの課題が共有され、新年度の予算案が承認されました。新議長には袴田康裕教師が選出されました。3年ぶりとなる大会役員修養会でもハラスメントやLGBTについての問題提起や、聖書協会共同訳の特色についての講演、東北中会の困難な現状の共有、またウェストミンスター信条の大会公認訳についての説明など、盛沢山の内容でした。私も大会常任書記長として大会代議制の可能性について講じました。また、憲法第一委員会から「創立宣言の現代語訳」の一次案が示されたのが興味深かったです。
No.73 (2022年7月10日)
教会設立記念日を覚えて
今日は臨時会員総会があります。会堂リフォーム工事の計画・予算を扱います。繰り返し申し上げていますが、この工事は湘南恩寵教会の再出発を象徴する意義をもつものです。奇しくも今日は教会設立記念礼拝。主の不思議な導きを覚えます。 私たちの教会は、東京恩寵教会の開拓伝道によって30年前に生み出され、順調な成長によって2011年には教会設立を果たすことができました。その当時の朝礼拝出席は、大人30子ども10の約40人くらい。今の倍ほどです。そして、残念ながらその頃がピークで、その後はだんだん減っていって今に至ります。過ぎた日々に、それぞれの感情があることでしょう。しかし私はその過程を何も知りませんから、散らされてしまったことは仕方ない、それもまた主の御計画だと思っています。そして むしろ、よくぞこれだけの方々を残してくださったものだと、主に感謝します。 破滅の果てになお残った「切り株(イザヤ6:13)」から、再び命が芽生えます。
No.74 (2022年7月17日)
「新たな献身」を表す機会として
先主日の臨時会員総会において、会堂リフォーム工事の計画・予算案と、工事のための50万円特別募金の提案がそれぞれ満場一致で承認されましたことに深い励ましを覚えています。募金については、予算を満たすためのものというよりはむしろ、今の湘南恩寵教会メンバーの一致のしるしとして、 また教会の再出発のためのそれぞれの「新たな献身」を表す機会として大切に覚えていただきたいと願っています。私たちの教会は、東京恩寵教会の 開拓伝道で生み出されましたが、経済的な心配はさせたくないという母教会の配慮の下、本当に潤沢な資金によってきれいな会堂が備えられました。 それはまさしく主の恩恵であり、「与えられた」という面が強くあります。 そうであればこそ、恩恵には献身をもって応答せねばなりません。今からの再開拓伝道には、みなさん一人一人の「新たな献身」を必要としています。
No.75 (2022年7月24日)
夜礼拝への訪問者
先主日、うれしいことがありました。横浜教会の若い姉妹が、夜の礼拝に参加したいと連絡をくださって、仕事を終えてから1時間15分ほどの道を駆けつけてこられ、私と二人で礼拝を守りました。オンラインで参加してくださる方の存在も尊いですが、会堂に集われる方がいらっしゃるのはやはり特別うれしいものです。4月から看護師としての仕事を始められたばかりの方です。大変に厳しい働きの中で、主の御前でまさしく魂をリセットしていただくことを求めて、集ってこられました。深い平安の時が与えられ、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる(マタイ18:20)」との約束の真実を確かめました。夜礼拝をやっていて本当によかったと思いました。みなさんもぜひ、共に礼拝いたしましょう。
No.76 (2022年7月31日)
落雷
先週は、岐阜県恵那市の「雀のお宿キリスト教会館」で全国中学生キャンプがあり、石川ヨナ姉とともに奉仕をしました。コロナ禍の渦中ではありますが、慎重に感染対策をしながら、集まった8人の子どもたちと恵みの時間を共有することができました。途中激しい雷雨があり、夜中に落雷による大変な爆音で起こされました。未明、警察が訪ねてこられました。聞けば、建物の敷地からの倒木が道路をふさいでいるので除去してほしいと。慌てて見に行くと、大木が見事に裂けています。そう、雷が落ちたのです。こんなに近いところに落ちていたのかと驚きつつ、守られたことに感謝しました。落雷というと、ルターのことを思い出します。21歳の時彼は落雷に遭遇し、友人が感電死しました。そのとき、助けてください、修道士になりますと叫んでいました。私もまた、爆音の中、主よ、罪深い僕を、罪深い民の中に住む者をお赦しくださいと祈らずにいられませんでした。生かされたことには意味があります。
No.77 (2022年8月7日)
子どもたちの奉仕を励ましたい
先日の子ども中心礼拝で、幼い豊川あかりさんが献金感謝祈祷を立派に果たされたことは、教会みんなにとっての喜びでした。共に奉仕準備されたご両親に、また奉仕をあたたかく励まし見守ってくださった皆さんに、牧師として感謝と 敬意を覚えます。これまでにも、幼子たちが礼拝参加できるように、様々な仕方で奉仕の機会を与えてきました。これは、神学校の校長であった牧田吉和先生の教えによるものです。教会には大人であれ子どもであれ、お客さんなんて誰一人いません。みんな主に招かれた神の家族の一員です。でも、役割がないならば、どうしてもお客さん・傍観者の様にならざるをえません。それは決して、居心地がよいものではないのです。誰だって、イエス様のお役に立ちたいのです。だから子どもたちにも、活躍の場を提供したいと、いつも考えています。
No.78 (2022年8月14日)
英連邦戦没捕虜追悼礼拝に参列して①
私たちの国において8月は、かつての戦争の過ちを見つめ直し、平和を希求する特別な時です。先の8月6日(土)、豊川慎長老が長く関わっておられる「英連邦戦没捕虜追悼礼拝(第28回)」に同行し、大変貴重な経験を与えられました。横浜保土ヶ谷の一角に、手入れの行き届いた芝生の広がる「英連邦戦死者墓地」があります。恥ずかしながら、今まで全然知らないことでした。戦時中、日本軍が南方の戦地で拘束した連合軍の捕虜約15万人は、拷問と強制労働により4万人以上死亡しました。1942年以降、3万5千人以上の捕虜が日本国内に移送されます。彼らは炭坑や鉱山などの劣悪な環境で労働を強いられ、暴行・栄養失調・病気などで、約3500人が死亡します。その内、英連邦(英、豪、加、NZ、印など)の捕虜1700人余りの遺骨が、保土ヶ谷の墓地に埋葬されているのです。続きは来週。
No.79 (2022年8月21日)
英連邦戦没捕虜追悼礼拝に参列して②
「英連邦戦死者墓地」での追悼礼拝は、永瀬隆、斎藤和明、雨宮剛のお三方が呼びかけ人となって28年前に始められた有志の営みですが、今や300人規模の集会となり、各国の大使館付武官が来賓として参列されています。この営みそのものが、旧日本軍の非道について謝罪し、和解と平和を求める具体的行動として開始されました。このような具体的なアクションの継続によって、確かに両者の間に和解と平和が構築されてきた確かな実績を目の当たりにしたことが、私にとって驚きでした。元捕虜の方やその家族を日本にお連れしては、元日本兵やその家族との和解を勧めるという働きを34年間継続してこられた、アガペワールドという団体があることにも感動しました。和解を通して、それぞれの心が癒され解放され、中には車椅子から立ち上がった方もいたとのことです。このような具体的な和解の労苦を重ねていくことが、キリストの平和の道なのだと知りました。
No.80 (2022年8月28日)
夏の中高生キャンプの奉仕を終えて
この二年、コロナ禍による行動制限の下、大中会の中高生キャンプをオンラインで開催してきましたが、無念さを禁じ得ませんでした。今年の夏は久しぶりに対面でのキャンプを開催することができて、参加したキャンパー・スタッフともに手応えがありました。やはりオンラインでは穴埋めできないものがあります。私や子どもたちが参加した3つのキャンプは、それぞれ慎重な感染対策の甲斐もあって、クラスターが起こることもなく無事に終了しましたことを感謝します。集まった人数はわずかで、コロナ前の半分にも満ちません。しかし、消えかかった種火に大事に息を吹きかけてもう一度火を起こすような思いで、みんなで時間を大切に過ごしました。人数が少ない分、一人一人の顔もよく見えました。思春期の子どもたちにとっては、同世代の信仰の友や、少し年上のお兄さんお姉さんの存在が重要な意味を持ちます。そういう交流の機会が回復されますように。