茅ヶ崎、藤沢、平塚の教会。茅ヶ崎駅に一番近いプロテスタント教会、湘南恩寵教会です。朝礼拝ではローマ書の連続講解説教。夕礼拝(夕拝、夜の礼拝)では、初心者の方や、中高生の学びを意識して、「使徒信条」に沿って、聖書のおはなしをしています。入門者歓迎。

坂井牧師の「牧会通信」

No101-110

毎週の週報に掲載されているミニコラムです。日々の生活や、教会の内外の皆様との交流の中で感じたことや、目指すべき教会像などなど、牧師の心にあることを皆さんにお伝えしています。

No.101 (2022年1月22日)

   わたしたちの悔い改め

今年の年報には「伝道開始30周年を記念してのミッションステートメント」と、 その具体化のための実行目標が記されています。坂井牧師が赴任して間もなく三年、教会も落ち着き、礼拝出席者も増加傾向です。ここからますますキリストによくお仕えし、よく用いていただく教会となっていくことができるように、みんなで確認できるひとつの指標となる文書を表したいと願い、小会で一年かけて議論してきました。ミッションステートメントにおいては、特に「悔い改め」の言葉を大切に読んでいただきたいと願っています。私たちの教会のこれまでの歩みを語るときに、避けては通れない痛みの記憶があります。それは誰かのせいにしてしまえるものではなく、教会全体の「未成熟」という弱さと深く関係しています。それは、一人一人の罪と結びついています。そういう私たちの欠けを、しっかり覚えたいと思いました。ふさわしく悔い改めがなされるところにこそ、自由と命と喜びが教会に与えられるからです。

No.102 (2022年1月29日)

   決算と予算(昨年No.56と同内容)

会員総会に備えて、決算報告と予算案の承認ということの大切さについて覚えましょう。決算報告は、昨年一年間の教会の活動を、会計の面から振り返ることです。 一年の活動が経済的に支えられた恵みを感謝し、互いの献身を励まし合い、同時に、会計担当の大変な重荷を担ってくださった執事方に、主にあって感謝と敬意を表し、その奉仕のために祈りたいと思います。また予算案は、今年度の計画・ヴィジョンの立案と深く関わるものです。具体的な計画は、具体的な予算案を必ず伴います。今年わたしたちの教会は、どんな計画と祈りをもって活動しようとしているのか、そのためにどこにどれだけのお金を用いようとしているのか。そのことを、みんなで真剣に協議し祈って予算を立てるならば、主は必ずその熱心を祝福してくださるでしょう。

No.103 (2022年2月5日)

   オレンジカフェへの会場提供

先週の31日(火)に、当教会を会場にして「幸町オレンジカフェ(認知症カフェ)」が開催されました。その日の催しは、映画「ぼけますから、よろしくお願いします」の上映会で、15名ほどの方が集われました。みんな口々におっしゃるのが、 「こんなところに、こんな素敵な教会がひっそりと存在していたなんて・・・。」 残念ながら、私たちの教会は街の方々に十分は認知されていなかったようです。 でも、だからこそこのような会場提供を通して、ひとりでも多くの方に教会の存在を知っていただき、足を踏み入れていただくということの意義は大きいと、改めて思わされました。この町ですでに展開されている様々な愛の業との協力を通して、幅広い交流の輪が広がり、街の方々に信頼される教会になれますように。

No.104 (2022年2月12日)

   祈りの一致の喜び

先週はT長老の椎間板ヘルニアの手術が無事に終えられたことに感謝しました。足の指を骨折されたM姉のための祈りにおいてもそうですが、この試練を通して教会に祈りの一致がもたらされたことに、恵みの導きを覚えました。「祈りのカレンダー」もお配りしていますが、みんなで同じことを覚えて祈ることに大きな意味があります。それぞれが抱えている祈りの課題については、共有可能なことは皆さんにお伝えするように、今後一層努めていきます。何を祈ったらいいか分からない時もあるでしょう。そういう時は「この方々のためにあなたが持っておられるご計画をお示しください。この方々のために私が何をなすべきなのかを教えてください」との祈りを、共通の祈りにしましょう。

No.105 (2022年2月19日)

   石川ご夫妻との交わりに感謝

すでに昨年より祈りに覚えてきましたが、石川亮教師候補者が四国中会芸陽教会から招聘を受け、2月23日に転居することとなりました。石川ご夫妻とは2021年より交流が与えられ、特に百合子姉(ヨナさん)とは毎週共に礼拝をささげ、信頼関係を深めてきました。昨年はゴスペルライブにも出演していただきました。何より、毎週の夕礼拝において奏楽奉仕をしてくださり、子どもたちを訓練し、賛美の声を引き上げてくださいました。ヨナさんが作ってくださった、湘南恩寵教会の夕礼拝のためのオリジナルソング「静かな夕べに」も大好評です。そんなヨナさんが転居されるのは、言葉にならないくらい寂しいですが、大きな感謝と祝福をもって送り出したいと思います。本日最後の夕拝です。

No.106 (2022年2月26日)

   トルコ・シリア地震支援募金

すでに皆様ご存じのように大変な被害が報告されています。被災者のために何かをしたいという皆様の思いの受け皿として、大会執事活動委員会が募金をします。送金先は、超教派のACT Allianceと、私たちとの協力関係にある北米キリスト改革派教会(CRCNA)のWorld Renewの二つの団体です。いずれも信頼できる団体で、被災者への緊急物資(食料・衛生用品・医薬品など)の支援のために献金を用いてくれます(詳しくは掲示板参照)。また、被災者のための祈りの言葉を皆様にお配りしましたので、みなで心合わせて祈りましょう。

No.107 (2022年3月5日)

   説教のよき聴き手となるために①

先週4日(土)に、中部中会の信徒講座において上記の題で講義をしました。 せっかくですから、このコラムでもしばらく連載したいと思います。「説教は 聴き手次第!!」というのが私の確信ですが、礼拝説教というものを、説教者個人のものではなく教会全体の宣教の業として理解し、説教者と聴き手の双方で「共同の労苦を担う」ということを考えていただきたいと願っています。 私が学んだ田中剛二先生は、「・・・説教と云うのは牧師が権威をふりかざして一方的に自分の考えを押しつける一方通行的なものではなく、説教者も会衆も一緒に神の御言の権威のもとに跪いて福音の教理に聞き従うと云うもの」だと書いておられます(1971年7月 神港教会青年会会報『双魚』第6号より)。実に説教とはそのようにして、みなで一つになって神の御前にひれ伏し、祈って、私たちの命である御言葉を渇き求めるものであり、正しく教会の業なのです。

No.108 (2022年3月12日)

    説教のよき聴き手となるために② 

礼拝説教というものを、説教者個人のものではなく教会全体の宣教の業として理解し、説教者と聴き手の双方で「共同の労苦を担う」ということを考えていただきたいと先週もお伝えしました。説教者は、よき聴き手に出会うと勇気を得て、大胆に語り始めます。実は先日、それを実感することがありました。御茶ノ水聖書学院で説教学を講じてきましたが、その最終説教演習のことです。最初、私と受講生のマンツーマンではじまった演習は、声もか細く、喜びの響きがありません。しかし遅刻してきた姉妹を聴き手に加えての二回目の演習では、見違えるようです。「よき聴き手」に徹した姉妹の存在が大きな要因でした。 

No.109 (2022年3月19日)

    会場提供をはじめてみて 

今年に入って、会場提供というかたちでの教会堂の開放が始まっています。地域に開かれた教会になるためという、会堂リフォームの目的に沿ったチャレンジです。すでに定着しつつある「幸町オレンジカフェ(認知症カフェ)」に 加えて、先週18日(土)にはANGEL’s HEARTの皆様が初めて利用されました。死産・流産を経験された方の心のケアをなさっている団体です。互いに痛みを語り合うということが大切な時間なのですが、そのためにふさわしい場を求めておられたということでした。静かで、慰め深く、愛の光が差しているような場です。私たちの教会の集会室をご覧になって「これです!」と即断でした。私たちの教会が魅力的な場であることを、外部の方から教えられた思いです。 

No.110 (2022年3月26日)

   説教のよき聴き手となるために③

礼拝説教がふさわしく神の言葉として語られ聞かれるために、聴き手が果たすべき役割について、「祈り・応答・実践・学び」の四つをキーワードに考えていきましょう。まずは「祈り」について。説教は人間の業ではなく、人知を超えた聖霊の御業ですから、祈りをもって聖霊のお働きを願い求めねばなりません。
では何を祈るべきか。聴き手に求められるのは、何よりもまず第一に、自分自身のための「霊的開眼を求める祈り」です。詩編119:18「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに(新改訳2017)」のように、霊的開眼によって御言葉の真価を理解させていただくことを切実に求める祈りが必要です。
また詩編119篇には、次のような祈りもあります。「御言葉をあるがままに理解させてください(詩編119:169)」、これが説教を傾聴する者の絶えざる祈りです。

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