2024年9月13日
どうにもならない
長血と女性のいやしと会堂長ヤイロの娘の生き返りは、本来セットで扱うべきでしょう。どちらも、命を支配しておられる方であるイエス・キリストの真実を証ししています。
次の日曜日は、後者の奇跡を分かち合います。
日曜日の説教では触れませんが、一点注意が必要です。マタイ福音書との描写の違いがあります。
マルコやルカでは、ヤイロは「娘が死にそうだ、助けてください」とかけこんできて、道の途中で、死んだとの知らせを受けるわけですが、マタイでは、そのくだりがばっさり省略されていて、はじめから「死んでしまった」とかけこんできます。
このあたりの違いが聖書の面白いところで、それぞれの福音書を記した著者の個性とか、書かれた目的に応じて、同じ出来事なのに伝え方が変わってくるのです。
でも、両者は本質的には同じです。もはや万策尽き果てて、人間的にはどうにもならないという状況であることには変わりありません。
それは、圧倒的な死の現実に太刀打ちできないという、無力感です。
自分にはもうなすすべがない。そういう状況の中で、ただただイエス様の御前に全面降伏するかのように、ひれ伏して、助けてくださいと泣いて願うしかないのです。
そういう人間の弱さを、無力さを、無念を、くやしさを、イエス様はすべてご存じです。
そういうわたしたちの、すべてを握っておられる、命の主がおられます。その事実が、人間の希望です。
共に祈りましょう。
主よ、今日もあなたの手の中で、いくつもの命が生み出され、また奪われます。この朝、地上の生に送り出された私は、夕べにはあなたのみもとに召されているかもしれません。生きるにも死ぬにも、わたしの体も魂も。わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることを感謝します。あなたに握っていただいているこの命を、今日も生き切ることができますように。
「日々の祈り」
毎週火曜日から金曜日、希望者に配信されている「日々の祈り」です。過去の配信は、ブログにまとめられています(約10年分)。